Beautiful JAPAN towards 2020

宮城県:大谷海岸

Beautiful JAPAN towards 2020

宮城県:大谷海岸

Beautiful JAPAN towards 2020

がんばりの原動力は
みんなへの恩返しの気持ち

“Rassemblez! Saluez!(ラッサンブレ! サリューエ!)”——「気をつけ! 礼!」

フランス語の敬礼が公民館に響き、子供たちは剣を手に、前進や後退、突きの動作を繰り返す。

フェンシングが盛んな土地として知られる宮城県気仙沼市。市内の本吉町フェンシング協会に所属する齋藤利莉(りり)さんもまた、小学校1年生から競技を始め、早くから頭角をあらわしてきた。しかし2011年3月11日に被災。3年生だった利莉さんは父・道利さんを亡くした。それから利莉さんは試合に勝てなくなった。

「気持ちが折れたというか、前に向かないというか。あの頃はフェンシングをやっても、楽しくなかったみたいです」

母・江利さんが当時を振り返る。いっぽう利莉さんの幼馴染みで良きライバルでもある藤澤将匡(しょうま)さんは、5年生になって日本代表に選出された。

「藤澤くんは震災でおじいちゃんを亡くした。家も流された。それでもがんばって練習を続けて日本代表になれた。自分は精神的にも技術的にも負けている……」

悔し涙にくれた利莉さんに転機が訪れたのは2013年。監督の三浦永司さんが「1年間、とにかく利莉をみる」と宣言し、つきっきりで指導した。

「まずは利莉と気持ちを通じあわせたい。そして一緒に戦おうと。お母さんやチームのみんなも応援している。みんなで戦うんだ。ひとりで戦うんじゃないんだ」

利莉をJAPANに——そんな三浦さんの情熱が実って、利莉さんはその年の全国大会で見事準優勝。念願の「JPN」の文字がユニフォームに付くこととなった。

「やっとみんなに追いつけたかな。これからは自分に自信をもってがんばる」

ひと足先に日本代表となった藤澤さんも「本当によかった」と素直に喜ぶ。

「利莉とは小さい頃から『日本代表になれたらいいね』と言ってがんばってきた仲なので。これからも辛いことがあったら相談にのります」

ふたりの夢は2020年の東京オリンピック出場と金メダル。そして利莉さんにはもうひとつの夢が。

「地元に戻ってふたりでコーチをして小さい子たちを育てていければ。自分も監督やチームのみんながずっと教えてくれたので。その恩返しができたらいいな」

撮影年月:2016年10月