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長崎県

『好きって気持ちは世界を変える』。パラアスリートの生き様

2019年05月14日

写真:そえじまさんの練習の様子

陸上競技(T54)の副島正純(そえじま・まさずみ)さん。車いすマラソンで自身5度目となる東京2020パラリンピック出場を目指している。現在は現役アスリートとしてだけでなく、自身が代表を務める車いすアスリートのチーム「一般社団法人ウィルチェアアスリートクラブ ソシオSOEJIMA」の運営や、障がい者の生活を支援する実業家としても活動している。拠点とする長崎県諫早市を訪ね、競技のこと、事業のこと、いろいろ聞いた。

写真:そえじまさんのインタビューの様子

副島さんは23歳のとき、父親が営む鉄工所での作業中、鉄板落下の事故により下半身不随になった。当初、スポーツをやるとは思ってもいなかったが、リハビリで触れた車いすスポーツから興味を持っていったそう。
「入院してるときにリハビリとして、はじめてやったのは車いすのバスケット。そこからどんどんスポーツに興味を持ち出したんです。そのひとつに車いすマラソンがあって、遊びに来ないか、出ないかと誘いを受けたんです」

写真:そえじまさんの練習の様子

それまで一度も競技用車いすに乗ったことはなかった。しかし、最初の「ひとこぎ」で運命が変わった。
「『うわ、こんなことができるんだ、スポーツができるんだ』っていう。その瞬間、自分の頭の中が真っ白になったというか。もっとこの時間を楽しんでいきたい。本当にそう思ったんですよね。そこから練習をはじめたのが、きっかけですね」

写真:そえじまさんのインタビューの様子

競技生活で苦労したのは、25歳を過ぎてから本格的に陸上競技を始めるといった体力面ではなく、練習をするための環境面だったという。
「(はじめた当初は)車いすで陸上をやるっていうのは、なかなか認めてもらえないところが多くて。車いすを押して練習したいんですって言うと『ちょっとここは車いすが使えないんです』っていうことも多々ありましたね」

写真:そえじまさんの練習の様子

そして副島さんは、周囲の理解を得るために、結果が必要だと考えた。
「まずアジアの大会に行って名前を売り、その次はパラリンピックに行こうと。そういう道があって、アジアの大会で金メダルを獲ったんです。それで近所にこういう人がいるんだなとか、こういう障がい者のスポーツがあるんだっていうのを、ちょっとずつ知ってもらえるようになって」

写真:車から競技用車いすを下ろすそえじまさん

副島さんは、障がい者がスポーツをやることは、すごいことではないと考えている。
「誰もがスポーツやってるのと同じで、何でやってるのかって言ったら、自分が楽しいからやってるんですよね。障がい者だからすごいがんばってる感が伝わることも多いんですけど、でも僕がやることっていうのは、僕自身が楽しみたいって思ってるから」

写真:そえじまさんの先導で一緒に練習する、ひゃくたけさん、しろまさん

あるとき、スポーツを楽しむ副島さんの姿を見て、同じような障がいのある人から「僕も副島さんみたいに強くなりたい」と言われた。そのときに自分の存在価値を教えてもらったと副島さんは言う。
「俺でも気づけるんだから、後輩たちにも気づいてほしいと思って。一緒に楽しむことで彼らが『アスリートになりたい』とか『パラリンピックに行きたい』とか『走ることをもっと楽しみたい』とか。最終的には、人生を楽しむきっかけを作る場所を作りたいなと思ったんですね」

写真:ひゃくたけさん、しろまさんのインタビューの様子

共に練習をする後輩選手、百武強士(ひゃくたけ・つよし)さんと城間圭亮(しろま・けいすけ)さんに副島さんの印象を聞いた。
「副島さんはやっぱりもう『バケモノ』ですね。本気を出されると、僕らは少しもついていけないですね」(百武さん)
「こ、こわいです(笑)自分も本当に副島さんはバケモノだと思っています。すごいかっこいいですし、一緒に走っていても、負けてられないって気持ちはあるんですけど。でもやっぱり、気持ちも強いので、すごくかっこいいなと」(城間さん)

写真:そえじまさんの練習中の真剣な表情

後輩の言葉に「それはありがたいですね」と副島さんは笑顔を見せた。実際、副島さんが初めてパラリンピックに出場したアテネ2004では、憧れの選手たちと同じスタートラインに立てた嬉しさと同時に、結果を出せなかった悔しさも感じ、「俺、バケモノになりたい」と思ったそう。

「とにかく速くなりたいとかじゃなくて『俺、強くなりたい』って思ったんですね。『副島さん速いよね』って言われたことって、あんまりなくて。『あの人、最後まで追いかけてくる』みたいな。そういうプレッシャーを常に他の選手に与えたい。やっぱりそうやって後輩が『バケモノじゃない?』って言ってくれるのは、すごく嬉しいです」

写真:鉄工所内の様子

副島さんは今、事故にあった鉄工所を活動の拠点にしている。父親も退職し、鉄工所は営業していないが、人生が変わった場所、車いすアスリートとしてのスタート地点に思い入れがある。
「(事故のあと)へこんでいる自分がずっといたとしたら、親父は本当にどうしようもなかったと思うんですけど、とにかく走ることが楽しかったし、こうやっていきたいとか、そういうことを認めてくれるようになって。ここ(鉄工所)をもう使わなくなったとき、親父が作ってきたものを何も残さずなくしてしまうのは、やっぱり自分の中で寂しかった。どうせやるなら、ここで何かをやってみたい。そんなに綺麗な話じゃないですけど、親父が作ったものの中で自分が何かを残していければいいなって」

写真:羽田小学校での講演会の様子

今の自分があるのは、大好きな陸上と出会えたから。陸上が変わるきっかけをくれ、いろんな人に支えられるきっかけをくれた。副島さんにとって陸上は、絶対に欠くことができないものになっている。

「自分が好きなこと(陸上)を見つけた瞬間に、すごく自分が真っ直ぐになれたし、この前の羽田小学校での講演会でも『何になりたいの?』っていう話の中で、パイロットになりたい、消防士になりたいと言ってる子ども達もいっぱいいた。いろんな目標というか、いろんな夢って、それぞれ見つけた瞬間、それを大好きなものとして一生懸命やることで、本当に周りを変えるほどのパワーがあるのだと思う」

写真:インタビューで熱く語るそえじまさん

とにかく好きなものを見つけて、自分の人生を楽しんでほしい。副島さんのメッセージはシンプルだ。
「棺桶入ったときに、『ああ、俺の人生楽しかったな』って。『俺なりにがんばったよな』って、やっぱりそう思いたいので、全力で楽しんでいきたいなって思っています」

4度のパラリンピック出場を経験してなお、東京2020パラリンピック出場を目指して、車いすマラソンに熱中する副島さん。その姿はまさに、『好きなことに一生懸命になれば、人生は変えられる』という言葉の通りだった。
競技者として、実業家として、今後も大好きな夢を追い続ける。

インタビュー映像

走ることが大好き。大好きなことに一生懸命打ち込むことには、周囲を変えるパワーがある。

Youtube動画:走ることを全力で楽しむ。後輩たちにも人生を楽しんでほしい。長崎・陸上篇 再生する

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