東京2020特集

島根のスポーツ少年からパラカヌー期待の星へ。山田隼平選手インタビュー

2018年10月09日

写真:笑顔でインタビューに答える山田さん

東京2020パラリンピック開幕の2年前にあたる2018年8月25日、パナソニックが応援イベントを開催。パラ競技の体験、アスリートのトークショーなどが行われ、パナソニックセンター東京は多くの来場者で賑わいを見せた。この日、トークセッションに登場したアスリートの一人が、山田隼平選手。現在、パナソニック吉備株式会社に勤務しながら、パラカヌーの代表選手を目指し活動している。先天的な両下肢機能障がいにより、車いすで日常生活を送る山田選手だが、カヌーに取り組む姿勢も心構えも、健常者と変わりないと話す。パラカヌーとの出会い、そして仕事と競技生活との両立、東京2020パラリンピックへの想いを聞いた。

カヌーが盛んな島根で自然と競技に親しむ

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山田隼平選手

私とカヌーの出会いは、保育園まで遡ります。地元・島根県は昭和57年の第37回国民体育大会「くにびき国体」の開催をきっかけに、カヌーが根付きました。以来、カヌー体験が遠足代わりになるような土地柄で、私が物心ついた頃には、カヌーの体験施設や学校の部活動にも採用されるなど、とても身近なスポーツでした。もし、島根に生まれてなかったら、おそらくカヌーはやっていなかったと思います。

小学校の6年間は、スポーツ少年団で剣道もしていました。私の住んでいる地域では、小学校入学と同時に剣道をはじめることがごく当たり前でした。健常者に混じって大会に出場し、昇段試験で3級も取得しました。中学校では、何かしら部活動をしなくてはいけないのですが、自分の中で文化部に入部する選択肢はなく、はなからスポーツをするつもりでした。ただ、障がいのこともあるので、何をしたらいいのかは悩みましたね。

写真:カヌーのレン集中の山田さん

カヌーを本格的にはじめたのは、中学の部活から

カヌー部に入部することになったのは、中学校の体験入部がきっかけでした。他の部活も見学させてもらう中で、カヌー部のコーチから「入れ、入れ!」と軽いノリで薦められて(笑)。そのコーチは、カヌー体験施設のスタッフとして仕事をされていた外部の方で、国際大会も経験されていました。その出会いを契機に、「中学では3年間カヌーを頑張ろう」と決意しました。

全校100人くらいの小さな中学校で、カヌー部自体が創設間もなかったこともあり、全学年あわせて部員は5~6人ほど。和気あいあいとした雰囲気がありながら、締めるところは締める、そんな部活の空気感がとても好きでしたね。中学では1人乗りだけではなく、最大4人乗りのカヌー競技も経験しました。障がいがあるのは私だけでしたが、一番パワーのいるところを任されていました。中学校までは、パワーは誰にも負けませんでしたね。

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山田選手はパラリンピアンの廣道純さんに共感し、影響を受けたと話す

幼い頃からスポーツを通じて健常者と切磋琢磨した経験から、考え方は健常者に近いと思います。障がいがあると、「危ない」「できない」という発想のマイナススタートで物事を捉えがちですが、正直あまり考えないようにしています。
私は、アテネ2004パラリンピックで陸上に出場し、800mで銅メダルを獲得された、車いすアスリートの廣道純さんに憧れ、著書『どうせ、生きるなら―車いすアスリートの明るい闘い』を中学2年生のときに読み、共感し影響を受けました。

小学6年生のとき、歩行用の装具を使うか、車いすかの選択を迫られていたのですが、車いすでいこうと即決。というのも、装具だとあまり綺麗な歩き方ではないので、それであれば車いすで、「歩こう」「走ろう」と。廣道さんの書籍からも、同じ考え方の持ち主であることが伝わって、自分の選択は間違っていなかったと感じました。

運命に引き寄せられるようにカヌーを再開

中学では部活と並行して、全国の障がい者スポーツ大会に陸上選手として出場。その頃から、スポーツを楽しむだけではなく上位を目指そうと意識が変化しました。ただ、中学の部活では心残りがあります。というのも、3年生のとき、もともとある障がいの手術をするため、夏休み期間中に1か月ほど入院することになってしまったんです。夏休みに最後の全国大会があるのですが、5月頃に引退することに。その時は、涙が止まらなかったことを覚えています。

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高校時代は、陸上部で汗を流した

高校に入ってからは、部活をどうしようか葛藤がありました。カヌー部もある高校で、中学時代から一緒だった友達に勧められもしましたが、インターハイに出場するほどレベルが高く、気が引けてしまいました。そこで、廣道さんへの憧れもあり、陸上部に所属。健常者の同級生と練習していました。高校3年間も楽しみながら部活に向き合うことができました。

写真:カヌーの練習中の様子

現在は仕事をしながらカヌー選手として練習に励んでいる

高校卒業後は、島根県警に事務職で拝命。当時は、土日出勤もあり仕事が忙しく、後々は宿直もあると言われるなどなかなかスポーツに意識を向けられない日々を過ごしていました。転機は3年ほど勤めてから退署して、職業訓練校に1年通っていた2014年頃。私の知人がカヌー連盟のトレーナーさんと知り合いで、その知人経由で「久しぶりにカヌーをやってみないか」とお話をいただいたんです。それがきっかけで、カヌー選手として復帰を考えるようになった頃、パナソニック吉備の採用情報を知り、応募を経て2016年に入社。カヌーと仕事を両立する毎日がスタートしました。

いま現在は、平日は仕事終わりの6時頃から、職場のトレーニング室で筋トレに取り組んでいます。土日は、地元の島根に帰ってカヌーに乗艇。2時間で15キロ以上こぎ続け、トータル4、5時間は乗ることもあります。大事なのは腕の力ではなく体幹で漕ぐこと。腕の筋肉はすぐに疲れてしまうので、上半身の体幹をメインに鍛えています。体幹を鍛えるとトレーナーから「蹴りが強くなった」と言われることもあります。

カヌーは障がいを感じさせないスポーツ。目の前で迫力を感じてほしい

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イベントでは、ラグビー「パナソニック ワイルドナイツ」の福岡選手、藤田選手とトークショーに参加

いまプライベートもカヌー漬けですね。私は負けず嫌いなので、「勝ちたい!」という想いは強いです。ただ、一度スポーツから離れていた時期があったからか、どちらかと言うと楽しむという方に重きを置いているところもあります。それでも、東京2020パラリンピックへのプレッシャーも少なからず感じています。

写真:パドリングを様子を交えて説明をする山田さん

2020年を目指して「必死に漕ぐしかない」

まずは、海外派遣選考会で1位を取ること、そして国際大会で決勝に残ることを目指しています。自己ベストは、200mを59秒ですが、選考に選ばれるには50秒前半を目指さなくてはいけません。マラソンの場合は、レースプランを頭の中で考えながら走ることが面白いのですが、カヌーは戦略らしい戦略がなく、とにかく速く漕がなくてはいけません。なので、これからの2年間は、もう必死に漕ぐしかないですね。

写真:カヌーを漕ぐ山田さんの様子

カヌーの醍醐味は、生で観ること!

カヌーは健常者と記録がほとんど変わらないので、その意味ではオリンピックとパラリンピックの違いはほとんどないと思います。私自身、障がい者という意識は、ほぼなく競技に取り組んでいます。ですから観戦する方には、スポーツの祭典として純粋に楽しんでもらいたいです。ちなみに、カヌーの醍醐味は、生で観ることで一層伝わります。たとえば、「艇が鳴く」と言うんですが、一定のスピードを超えると舵が水に触れてキューキューと音が鳴るんです。ギャラリーにはその音が聞こえないかもしれませんが、迫力ある自然の水しぶきや、手に汗握る競技のスピード感を生で味わっていただきたいですね。

写真:パナソニックセンター東京の様子

パナソニックセンター東京では、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、「スポーツ」「文化」「教育」をテーマにした体験展示や、さまざまなイベントを開催中です。

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■山田隼平選手プロフィール

1992年生まれ。2016年パナソニック吉備株式会社へ入社。中学の部活でカヌーを始め、一時期引退はしたものの2015年に本格的に再開した。
2016年9月平成28年度日本パラカヌー選手権大会 2位入賞
2017年9月平成29年度日本パラカヌー選手権大会 2位入賞
2018年3月パラカヌー日本選手権大会 3位入賞
日本障害者カヌー協会の2018年度強化指定選手

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