47都道府県のアスリートたち

佐賀県

目標は世界。弱かった自分が世界を目指す選手になれた

2019年05月14日

写真:力強く弓を引くみつのさん

佐賀県佐賀市、佐賀県立高志館高等学校。全国的に知られるアーチェリーの強豪校は、佐賀県障がい者スポーツ協会の強化指定選手、光野裕也(みつの・ひろや)さんの母校でもある。競技への思い、オリンピック、パラリンピックへの思いなどを聞いた。

写真:インタビューに答えるみつのさん

生後間もなく脳性まひと診断され、普段は杖を使って生活している光野さん。物心が付くころには、アーチェリーと出会っていたという。
「4、5歳ぐらいのときにアーチェリーをやりたいって言い出して、一時期おもちゃの吸盤の弓矢で遊んでたんです。本格的に競技をやりだしたのは小学校3年生くらいだったと思うんですけど、初心者向けのアーチェリー講習会があって、そこで初めて弓を引きました」

写真:西川先生とマンツーマンで練習する様子

アーチェリーに魅せられた光野さん。競技力は向上し、中学時代は初めて全国大会に出場。その後の進路を決める出会いを果たした。
「中学校3年生の時に西川先生と会いました。基礎から徹底的に教えていただいて、点数が出るようになりました。点数が出始めると面白くなってくるのがこの競技なので、それで火が点いたというか、続けようって思いました」

写真:西川先生のインタビューの様子

西川先生は中学3年生の光野さんを見て、体ががっちりしている印象を受けたそう。
「ひょっとしたらこの子、硬い弓って言うんですかね、そういうのが早く引けるんじゃなかろうかと。やってたら飲み込みも早くて、アーチェリーが好きで練習もついてきてくれた。とにかく自分で何でもやって、そしてどうしてもダメな時に助けてもらいなさいと指導をしました。本人も最初のうちはいじけたりしてましたけど、卒業するまでにはかなり成長したと思いますね」(西川先生)

高校でもアーチェリーを続けたい。その一心で、西川定(にしかわ・さだむ)先生が顧問を務める佐賀県立高志館高等学校に進学した。

写真:みつのさんとの思い出を語るおそえがわさん

光野さんとアーチェリー部で共に過ごした小副川拓臣(おそえがわ・たくみ)さんは、光野さんと出会った当時を振り返る。
「僕は高校からアーチェリーを始めたんです。『よし打った、よし的に当たった』っていう初歩的な段階のときに裕也は、もうすでに的に当てて『うん、何点』とか言ってる。なんだコイツと思って、ライバル視というか、部活に入ったらこいつに勝ちたいとかあると思うんですけど、最初に僕がコイツに勝ちたいと思ったのは、『光野裕也』でした」(小副川さん)

写真:笑顔のみつのさんとおそえがわさん

友人の本音を聞いた光野さんから、嬉しさだけでなく感謝の言葉が出てきた。
「それ初耳です。そう思ってもらっていたのは正直嬉しいです。みんなと一緒に3年間辞めずに続けたのは良かったなと。みんなすごく優しくて、3年間ずっと一緒にいられて、私やっぱり恵まれてるんだなって」(光野さん)

写真:みつのさんの印象を語る西川先生

高校時代の光野さんは、どんな生徒だったのか。2人に聞いた。
「光野の性格っていうのは、どっちかって言ったらおっとりしているんですよね。小さい頃から支援学校の小学部中学部を出ていますので。少人数の小さい学校から突然1クラス40人の学校に来たから、大変だったろうなと思います。健常者の子達は通学に自転車でほんと10分もかかんない。彼はもう1日30分から40分ぐらいかけていたみたいですもんね」(西川先生)

写真:みつのさんのアーチェリーの様子

「アーチェリーの話ししたら、すごく喋り出すんですよね。こいつアーチェリー好きだろうなって。自分でアーチェリーが好きだって、気付いていないんだと思います。アーチェリー部として、いろんな人と出会いはしたんですけど、好きな人ってすぐわかるんで、そのうちの1人ですね、僕の印象としては」(小副川さん)

写真:仕事にむかい交差点を渡るみつのさん

現在は、社会人として働きながら競技を続けている光野さん。仕事と競技の両立に悩んでいた。
「仕事はちゃんとやらないと。仕事に就いたからには、ちゃんとやっていこうというのはやっぱりありますね。平日は仕事の定時があるので、練習はできていないです。土日はしっかり休みが取れる分、まだやりやすいんじゃないかな」

写真:かおりさんのインタビューの様子

社会人になり、生活の中でアーチェリーが占める割合が変化した。近くで接する家族は、どう感じているのだろう。母のかおりさんは言う。
「仕事もしないといけないのは分かっているけど、忙しいし、練習もできないし、成績もあがらないって言う。『じゃあ、アーチェリー辞めたら?』って言ったことがあるんです。それでも『辞めたくない』って。じゃあ頑張るしかないね、ぐらいしか言えないんですけどね」(光野かおりさん)

写真:みつのさんの練習の様子

いよいよ来年は、東京2020オリンピック・パラリンピックが開かれる。パラアーチェリーの選手は、成績次第でオリンピックとパラリンピックの両方に出場できる競技。光野さんは世界を目標に、両方を視野に入れているという。
「点数さえ取れればオリンピックも出られるよっていうのを聞いて、目指せるんだったら目指そうかなと。私みたいに運動できない人間でも練習すれば結果を叩きだせるようなスポーツ、たぶん障がい者にとっては一番可能性があるスポーツ。健常者と一緒にやる機会が多くなると友達も作れるし、続けられるスポーツじゃないかなと思ってます」

アーチェリーのおかげで友達ができ、いろんなところに行く経験もでき、体力もつき、メンタルも強くなった。アーチェリーと一緒に、人生を切り拓いてきた光野さん。大好きな同級生とオリンピックに出場する夢に向かって、これからも挑戦はつづく。

インタビュー映像

佐賀県で仕事と両立しながら練習に励む、アーチェリー選手の光野裕也さん。

Youtube動画:アーチェリーがくれたもの。一番は友達、そして経験。 佐賀・アーチェリー篇 再生する

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