パナソニック 空調家電の歴史 –風と空気をつくる–
このページはパナソニックミュージアムものづくりイズム館の企画展「風と空気をつくる」をもとに構成しています。
風と空気への挑戦の始まり
創業者・松下幸之助の「風と空気」に関するエピソードをご紹介します。
当社と「風」の深い“縁” ~窮地を救った扇風機の部品~
(左)創業のきっかけとなった練物製の碍盤(扇風機底部の絶縁体)
(右)松下電器の第一号扇風「MURZ」
松下幸之助は、1917(大正6)年に大阪電燈を退職し、ソケットの製造を開始。思うように売れず、苦しい日々を過ごします。ある日、市内の問屋から、「ソケットの材料の練物で、川北電気の扇風機に使う碍盤(がいばん)をつくってほしい」という注文が舞い込んできました。当時、碍盤は陶器製で割れやすいことが欠点でした。
納品した練物製の碍盤は品質を認められ、繰り返し注文が入るようになり、翌1918年には大阪市内の大開町に松下電気器具製作所(現パナソニック)を設立しました。
そして1956年には、川北電気の流れをくむ会社と共に、扇風機の製造販売をおこなう大阪電気精器株式会社を設立。この会社が現在多くのIAQ(室内空気質)製品を手掛けている「パナソニック エコシステムズ」の前身となりました。
人々が喜ぶ商品を ~エアコン1号機のエピソード~
(左)エアコン第一号「ナショナル・ホームクーラー」
(右)クーラー事業部を視察する松下幸之助(写真手前)
1957(昭和32)年、電機事業部が水冷式のルームクーラー(冷房機)を開発。これは日本家屋の様式を考慮して独自開発した、小型軽量で比較的低価格のウインド型クーラーでした。
試作品の試運転の際に、松下幸之助は「ああ、これがクーラーか。風が冷たいなあ、いい気持ちやなあ。これがあったら、夏、高野山に登らんでもええな」と言い、それから独り言のように「これが安くできたら、世の中の人は喜ぶやろうな」とつぶやきました。
翌1958年、当社は業界に先駆け、この商品を家庭用の「ナショナル・ホームクーラー」と名付けて発売しました。
年表で見る、社会と空気の関係
それぞれの時代について詳しく見る
企画展「風と空気をつくる」の内容の一部である、住環境の変化とパナソニック空気質関連製品の変遷は、PDFでもご確認いただけます。
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