高橋尚子がシドニー2000・女子マラソンで金メダルを獲得して甦った大会前からの記憶高橋尚子がシドニー2000・女子マラソンで金メダルを獲得して甦った大会前からの記憶

©Naoya Sanuki/JMPA

《The Scene of Olympic・フォトグラファー「思い出の1シーン」》

高橋尚子がシドニー2000・女子マラソンで金メダルを獲得して甦った大会前からの記憶

 

text by 佐貫直哉(Naoya Sanuki)
photographs by Naoya Sanuki/JMPA

いよいよ間近に迫ったパリ2024オリンピック競技大会。
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今回はシドニー2000を現地で撮影したフォトグラファー・佐貫直哉氏が「思い出の1シーン」をテーマに当時を振り返ります。

日本雑誌協会の代表カメラマンとして、バルセロナ1992を皮切りに、アテネ2004を除き東京2020オリンピック競技大会まで計7度、4年に一度の夏の大舞台を撮影し、数々の金メダルも目撃してきました。その中でも忘れがたいのはシドニー2000の女子マラソン、高橋尚子さんが金メダルを獲得したレースです。

日本陸上界戦後初の金メダルということもあります。それ以上に、大会前からの過程を目にしていたからこそ、ひときわ感慨深い金メダルです。

レースは9月24日でした。その日、僕はカメラカーから撮影していました。カメラカーというのはカメラマン用のトラックで、原則先頭を走るランナーの前に位置して走ります。ひな壇のように4段、1段に5人ほど、計20人が乗車します。日本人専用ではなく世界中のカメラマンのうちわずか20人です。限られた枠しかない中、前もってリクエストを出しましたが、日本の雑誌協会という組織の認知度からして当たり前のように弾かれました。でも僕自身バルセロナ1992のときに当日交渉してOKが出た経験があったので、シドニー2000でも当日交渉しなんとか乗ることができたのです。

撮影条件は過酷なものでした。サスペンションのきいていないトラックで2時間20分ほど揺られるわけです。当然気分が悪くもなります。しかも一脚を立てるとぶれるため、カメラは手持ちです。2台持ち込んでいましたが1つは500mmのレンズ、もう1つは望遠ズームレンズをつけたもの。500mmレンズだけでも4kg近くあります。それだけ重いものを持ち続けなければなりませんでした。

当時はフィルムカメラの時代でフィルム1本36枚撮りですから、デジカメのようにひたすら連写して撮るわけにはいきません。無駄なカットを撮らないよう、選手のフォームをしっかり見てシャッターのタイミングを合わせる必要がありましたし、フィルムは撮り終えればその都度交換しなければなりません。

陽射しの強いところや建物などで陰になっているところも走ります。モニターで撮った写真をその場で確認することもできませんし、自分の勘で露出を補正し、ピントをしっかり合わせて撮ることが求められていた時代でした。誌面に載った写真はそんな状況から生まれたのです。

カメラカーが先頭を独走するレンデルス選手ではなく集団についたことで日本代表3選手を一緒に撮影できた1枚 ©Naoya Sanuki/JMPA

カメラカーが先頭を独走するレンデルス選手ではなく集団についたことで日本代表3選手を一緒に撮影できた1枚 ©Naoya Sanuki/JMPA

過酷でも撮りたいと思い、交渉してカメラカーに乗って撮り続けたレースは意外な展開が起こりました。序盤からマルレーン・レンデルス選手(ベルギー)が一人飛び出したのです。ペースを上げると、それに続く集団とは差がつくばかり、高橋さんをはじめその集団にいる有力選手はいくら望遠レンズでも撮ることができません。実績からしても先頭の選手はつぶれるだろうと他の日本人カメラマンと「集団へついてくれ」とドライバーに言うのですが聞いてくれず、アメリカのカメラマンたちも強く言って、ようやく集団につくことができました。

予測したようにレンデルス選手は吸収され、やがて集団もばらけていき、18km過ぎに高橋さん、市橋有里さん、リディア・シモン選手(ルーマニア)の3人になりました。22km過ぎからは高橋さんとシモン選手の一騎打ちとなります。やがて33kmを過ぎ、そこで仕掛けたのが高橋さんでした。サングラスを投げてスパートした瞬間を覚えている方もいると思います。ただサングラスを投げた瞬間は、カーブだったからか分かりませんでした。

そこから先頭を守った高橋さんですが、金メダルを撮ったな、と確信できたのはカメラカーでの撮影ができる最後のスタジアムに入る直前でした。最近こそ大舞台で日本の選手が金メダルを獲るのは珍しいことではありません。でも当時は少なかったし獲る競技も限られていました。さらにシモン選手が強いことも分かっていたので、確信みたいなものが抱けなかったのです。

でも金メダルを確信できたとき、思い出すことがありました。

実は大会が開幕する直前まで高橋さんがアメリカ・ボルダーで行なっていた高地合宿の撮影に行っていました。バルセロナ1992で有森裕子さんが銀メダルを獲りましたがその前の合宿も撮影していて、小出義雄監督とけっこう気心知れる関係になっていたこともあります。

ただ、大舞台を目の前にしていることもあり、小出さんからは「Qちゃん(高橋の愛称)も今ナーバスになっているから、練習に集中させたい。明らかに撮っているという感じでは撮らないでほしい」と言われました。木の陰に隠れたりしながら撮影を続けていると、合宿を終えて帰る直前、ポートレイトを撮らせてもらえることになりました。高橋さんは木の陰から撮っているのを「気づいていましたよ」と笑顔で言って感謝してくれました。

あの苦しい高地合宿でのトレーニングを見ていて、しかもバルセロナ1992の頃に生まれた小出さんとの縁があってそこで撮影できた。金メダルですべてがつながったような感覚を覚えたのです。

だからこそ、何度でも振り返りたい、あの光景を観返したい、そんな特別なレースでした。

構成:松原孝臣

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