あかりの歴史 ナショナル電球第1号 誕生秘話

Episode 01 松下幸之助が生み出した“あかり”の原点 1936年 ナショナル電球 第1号Episode 01 松下幸之助が生み出した“あかり”の原点 1936年 ナショナル電球 第1号

1936年9月、ナショナル電球第1号が発売されました。主要な事業としてパナソニックを支え続けたナショナル電球はどのようにして誕生し、皆様の元へ届けられたのでしょうか。

独占市場へ挑戦

1918年に松下幸之助が「松下電気器具製作所」を設立し、最初の製品となる「アタッチメントプラグ」を発売してから約18年。電機業界へ参入できるほど大きくなった松下電器は、ついに電球市場への参入を決めます。
しかし、当時の市場はアメリカのメーカーと提携していた一社による独占状態となっていました。

ナショナル電球株式会社
1936年設立。大阪・豊崎工場で生産開始

ナショナル電球株式会社 1936年設立。大阪・豊崎工場で生産開始

電球市場を切り拓く価格

1936年9月、ナショナル電球第1号を発売、価格は先行していた一社と同じ36銭となりました。しかし、他のメーカーは10銭、20銭の価格帯であり、ナショナル電球の品質を知らない販売店からは苦情の声が上がりました。
松下幸之助は「市場に適正な競争を生み出すことで、消費者にも恩恵がある」という信念のもと、代理店・販売店そして消費者の支援を得て、電球事業を成功に導いたのです。

1939年6月1日 大阪松坂屋での電球宣伝売り出しの様子

1939年6月1日 大阪松坂屋での電球宣伝売り出しの様子
1930年代の貨幣価値

昭和12年(1937年)の公務員初任給は約75円(100銭=1円)、現在の東京都の初任給を平均220,000円前後として換算すると約2933倍(1円=2,993円)になります。当時の電球36銭は現在だと約1,077円ですね。

【参考】
• 「値段史年表 明治・大正・昭和」(週刊朝日編 朝日新聞社 1988)
東京都人事委員会

76年の歴史に終止符

2008年、政府は2012年度までに消費電力の高い白熱電球の製造中止を各メーカーに要請しました。
ナショナル電球の発売から76年、30億個以上を売り上げ、時代と共に進化した“あかり”は、大きな節目を迎えたのです。

そして、松下幸之助の信念は今もなお、形を変えてパナソニックと世界の“あかり”を支え続けています。

右:1940年ナショナル電球の屋外広告

1940年ナショナル電球の屋外広告