あかりの歴史パルック蛍光灯 誕生秘話
1977年12月、蛍光灯の革新的な新商品「パルック」を発売します。蛍光灯のブランドとして地位を確立した「パルック」の誕生エピソードをご紹介します。
停滞する蛍光灯市場
1951年、ナショナルは直管蛍光灯の第1号を発売しました。その後、幾たびの改良が加えられ、安定した品質によって普及率は高まります。しかし、各メーカーも同様の品質を維持し、蛍光灯市場は価格競争に飲み込まれていきます。
そんな状況を打破するためには「他社にはない優れた製品が必要である」との想いから、新たな蛍光灯の開発が始まります。
左:蛍光灯工場
右:1951年発売 蛍光灯第1号(直管)
求めたのは明るさ、
色の鮮やかさ、長寿命
従来の蛍光灯を深く掘り下げていくと3つの課題が見えてきました。
- もっと明るくならないか
- 色の見え方が少し悪いのではないか
- もっと長持ちできないか
特に大きな問題となったのが、明るさと色の見え方(演色性)です。蛍光灯において、この2つは相反関係にあり、解決は困難を極めました。
大阪・高槻蛍光灯新工場の内部
パッと明るく見える
「パルック」誕生
2つの問題を解決するために、根本に立ち返った開発陣は「人間の目」に着目します。当時、人工光源は自然光と同じように、全ての色が鮮やかに見えることを前提にしていました。
しかし、研究を進めていくと人間の目が色を最も強く感じるのは「青・赤・緑」の波長域であることがわかります。
開発陣は、3種類の蛍光体を均一にする技術を確立させ、明るさはそのままに、鮮やかな演色性を持つ蛍光灯、つまり「パルック」を完成させたのです。
蛍光灯の価値を変えた高性能
1977年12月、パルックが発売されます。当初、その価格に様々な意見が寄せられました。新技術のため、従来品と比べて価格が約1.6倍~2.6倍(種類によって異なる)になってしまったのです。
しかし、販売店への地道な説明、実際の使用例などから消費者に受け入れられ、発売から1年で600万本を販売するという大ヒット商品になりました。
そして「パルック」のあかりの質へのこだわりは「パルックLED」へと引き継がれています。